大谷吉継
今回はゲームに関する話題ではなく、大谷吉継の人物像について軽く触れたいと思います。
大谷吉継について
大谷吉継の出生や、豊臣秀吉にどれくらい仕えていたのかはよく分かっていません。
ハンセン病にかかっていたと言われており、顔を白頭巾で隠していました。
関ヶ原の戦いの時には病により失明もしていたそうです。
(画像をパブリックドメインのものに差し替えました)
親友・石田三成との「義」
徳川家康に敵対し西軍につくという石田三成を、大谷は勝ち目はないと必死に説得しました。
しかし、このままでは豊臣家がなくなるという危機感と忠義の気持ちから、石田三成の意思は変わりませんでした。
大谷は親友・石田三成と共に西軍につくことを決意します。
小早川秀秋の寝返り
人間観察眼を持っていた大谷は、石田三成への「義」のためだけに西軍についたわけではありません。
小早川秀秋の行動が合戦の帰趨を決めたと言われるほど、小早川の寝返りがなければ西軍が勝利していた可能性もあったのです。
大谷は小早川秀秋の態度に薄々気づいており、小早川の陣する松尾山の麓に陣を置きました。
大谷の予想通り小早川は寝返りました。
しかし、大谷の旗下である脇城、小川、赤座、朽木までもが同時に裏切ることは予想できませんでした。
大谷は追い詰められ、最期は自刃しました。
脇城らの裏切りの背景には、裏切りを勧める藤堂高虎の暗躍がありました。