いじわる魔女の猫

ゲームのプレイ日記や攻略などを綴ります。

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英雄紹介その41「エリーザベト」

エリーザベト

日本では「エリザベート」で知られていますが、ドイツ語では「エリーザベト」が正しいそうです。

ハプスブルク家最後の皇后です。

父のマクシミリアンは古いしきたりや偏見にとらわれない人物で、エリーザベトはのびのび育てられました。

夫フランツ・ヨーゼフとの出会い

エリーザベトが、夫となるフランツ・ヨーゼフと出会ったのは見合いの場でした。

ただし、自分の見合いではありません。姉のヘレーネの見合いの場です。

ハプスブルク家唯一の『男』」との異名を持つゾフィ大公妃の息子、フランツ・ヨーゼフは、ヘレーネとの顔合わせの場でたちまち恋に陥りました。

恋に陥ったのはヘレーネにではなく、遊び半分で付いてきた15歳の天真爛漫な妹、エリーザベトにでした。

いかなる時も母に従順だったヨーゼフですが、唯一この時だけは自分の意思を押し通しました。

フランツ・ヨーゼフは、母の統治力に全幅の信頼を置き、生涯にわたって従順にふるまった、ただ一度をのぞいて。

中野京子 著「名画で読み解く ハプスブルク家12の物語」より

厳しいお妃教育

皇妃となるための勉強やお妃教育によるストレスで、勉強嫌いのエリーザベトは何度もヒステリーを起こします。

子供が生まれても大公妃ゾフィに取り上げられてしまい、エリーザベトは躁鬱を繰り返すようになります。

ところが喜びもつかの間、赤ん坊はすぐにエリザベートから引き離され、知らぬ間に大公后にちなんでゾフィーと名付けられていた。大公后は前もって自室を改造し、隣に子供部屋を作らせて子育てのすべてを仕切ろうとした。子供部屋は、エリザベートの部屋から階段や廊下を渡り歩かねばたどり着けないほど、離れていた。母親なのに授乳もできず、愛しい我が子に会えるのは、大公后の許可が下りた一定の時間に限られた。

森実与子 著「エリザベート 美と旅に生きた彷徨の皇妃」より

過酷なダイエットと旅行三昧

三人の子供を産みながらもなお、身長172センチ、体重50キロ、ウエスト50センチという体型を維持するため、エリーザベトは強迫観念じみた過酷なダイエットを続けました。食事療法のみならず、乗馬、フェンシング、水泳などのスポーツに励み、一日に何時間もウォーキングを行ったそうです。

無理なダイエットは心身を蝕んでいきました。

療養と称して、エリーザベトは旅行に度々出かけるようになり、ウィーンにほとんど居つきませんでした。皇后、妻、母としてのいずれの役割も放棄し、特権のみを享受するようになりました。

息子の死、暗殺、ハプスブルク帝国の終焉

息子ルドルフが愛人と心中し(マイヤーリンク事件)、悲しみに明け暮れたエリーザベトはその後も放浪を続けました。

そして息子の死から約10年後の1898年にエリーザベトは暗殺されました。

犯人はイタリア人無政府主義者で、最初は別の王族を狙っていたがうまくいかず、たまたま近くにいた彼女に標的を変えたのでした。

エリーザベト夫フランツ・ヨーゼルが逝去したのは、エリーザベトの死から18年後。

第一次世界大戦のさなかでした。

彼が事実上のラストエンペラーとなり、およそ700年続いたハプスブルク帝国は幕を閉じました。

フランツ・クサーヴァー・ヴィンターハルター「エリザベート皇后」

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