マリア・テレジア
発動すると、連合軍(ソロ連合も含む)で攻めた場合、全軍の攻撃力を最大60%増加させ、同時に味方3軍まで敵の無効化スキルを無視できる。※連合軍の場合、連合リーダーの軍にマリア・テレジアがいないと発動しない。
このシーズンの六英雄はいずれも強力で、多くのプレイヤーが今もな主力として起用しています。
スキルについて
マリア・テレジアのスキルは全軍攻撃60%増+味方3軍まで無効回避。
いわゆる全軍スキルであり、説明不要の強さです。
ただし、総大将軍でしか発動しない点に注意が必要です。
「全軍で一つだけ発動」の制限をさらに厳しくしたものと言えます。
マリア・テレジアの人物について
オーストリア・ハプスブルク家の君主マリア・テレジアは、ご存知マリー・アントワネットの母親です。
マリア・テレジアは政務をこなしながら、マリーアントワネットを含め16人も子供を育てました(うち6人は早逝)。
後年は息子ヨーゼフ二世と共に改革を行いました。
マリア・テレジアが女帝と呼ばれる理由
「女帝」と呼ばれますが、正確には女帝だった時期はありません。
マリア・テレジアの父、カール六世は男児に恵まれませんでした。
そこで長女マリア・テレジアに跡を継がせるため、さまざまな犠牲をはらいつつも女系継承を認めさせる詔書を周辺国に作成し、無事承認を得ました。
しかし、カール六世が逝去するやいなや、プロイセンを筆頭に周辺国は約束を反故にし、オーストリア領シュレージエンへの侵略行為を開始。
それでもマリア・テレジアはハンガリーを味方につけ、なんとか神聖ローマ帝国の座を死守。
しかし妥協もせざるをえず、形式上は皇帝には夫のフランツ一世が即位し、マリア・テレジアは皇后という形に落ち着きました。
実際に政治を仕切っていたのはマリア・テレジアだったことから「女帝」の通称で呼ばれます。
夫フランツ一世は名目上の皇帝だったわけですが、重商主義政策を推し進め、企業家としても成功し、マリア・テレジアを財政面で支えました。
エカテリーナ二世との関係
ロシアの皇帝エカテリーナ二世とは同盟関係にあり、プロイセンのフリードリヒ二世、オーストリアのマリア・テレジアで第一次ポーランド分割を行いました。
マリア・テレジアとエカテリーナ二世の関係は良好だったかのでしょうか?
答えは否。
マリア・テレジアはこのふたりの君主を心の底から忌み嫌っていました。
マリア・テレジアは敬虔なカトリック教徒であり、10人以上の愛人を持っていたエカテリーナ二世と、シュレージエンを盗んだプロテスタントのフリードリヒ二世のことが許せませんでした。
ポーランドの分割(という名の略奪)にも最初は反対でしたが、息子ヨーゼフ二世の説得により、しぶしぶ合意しました。
マリア・テレジアはこのふたりの君主を憎悪し、見下していた。フリードリヒはシュレージエンを盗んだプロテスタントである。エカチェリーナは次々と愛人を作る帝国簒奪者だ。マリア・テレジアは敬虔なカトリック教徒であり、隣国のカトリック国略奪に手を貸すという考えに背筋を寒くする。
ロバート・K・マッシー著 北代美和子 訳「エカチェリーナ大帝(下)」より
娘たちを政治のカードとして利用する
マリア・テレジアは娘たちの幸せよりも、ハプスブルク家の繁栄を優先させ、政略結婚を強引に進めました(もっとも当時は珍しいことではありませんでしたが)。
最期は処刑されたマリー・アントワネットも不幸ですが、最も悲惨だったのは六女マリア・アマーリエではないか?と個人的に思います。
アマーリエには相思相愛の相手がいましたが、母はこの恋愛を認めず、パルマのフェルナンド公のもとに無理に嫁がせました。
精神に障害があり、粗暴で愚劣な相手だと知りながら。
娘の母への恨みは強く、娘は国政をあやつり公国の財政を破綻させ、母から勘当されました。
その後アマーリエはナポレオンによってパルマから追放されましたが、ウィーンに戻ることはなく、母を恨みながらプラハで死去しました。