仕事と遊びの違いって?
時空覇王伝に全く関係ないというわけではないですが、今回は大きなテーマの話になります。
プレイヤーにとって、時空覇王伝は「遊び」です。
「時空覇王伝は遊びじゃねえんだ!」というガチの方もいるかもしれませんが、ここでは遊びということにさせてください。
それに対し、運営にとっての時空覇王伝は「仕事」ですね。
時には「遊びを仕事にする」とか「趣味は仕事です」などと言ったりもしますが、なんとなく仕事と遊びって真逆のイメージがあります。
仕事と遊びの違いって、一体何なのでしょうか?
仕事と遊びの違い
仕事は成果を出さなければいけませんが、遊びは遊ぶことそのものが目的です。
野球を例に考えてみます。
小学生が休日に友達と野球をする、これは遊びと言えるでしょう。
中学生の部活動はどうでしょうか?仕事とは言えないかもしれませんが、だいぶ遊びという感じはなくなりますね。
甲子園を目指す高校生は?プロ野球選手を目指す大学生などは?おそらく、遊びとはほど遠いものだと思います。
プロ野球は「仕事」でしょう。しかし、だからといってプロ野球以外の野球=「遊び」とはなりません。
遊びだったはずのスポーツは、結果を追求すればするほど、仕事としての性質に近づき、遊びとしての性質から遠のいていきます。
ということは、仕事は真剣で、遊びは真剣でないということでしょうか?
いいえ、それも違います。
遊びも真剣であることには違いありませんし、遊びが結果を追求しないわけでもありません。
仕事と遊びは真逆のものではなく、全く別の次元の概念
ホイジンガは遊びと真面目は相反する関係ではなく、遊びの方が上の序列に位置しているため、遊びは真面目すらも内包すると言います。
これに反して遊びの意味内容は、けっして「真面目ではないもの」とは定義できないし、それに尽きるものでもない。つまり、遊びというのは何か独自の、固有なものなのだ。遊びという概念そのものが、真面目よりも上の序列に位置している。真面目は遊びを閉め出そうとするのに、遊びは真面目をも内包したところでいっこう差支えないからである。
仕事は現実である、ということに異論はないと思います。
例えば妄想に入り浸り何もしないでいることは、暇つぶしにはなっても仕事になることはありえません。仕事であるからには必ず何かしらのアウトプットが必要です。
仕事と遊びは、真逆なものではなく、全く別の次元の概念になります。
片方の性質が極まればもう片方の性質は消える、というものではありません。
しがたって「遊びを仕事にする」とか「趣味は仕事です」という言い方は、矛盾したことを言っているわけではないということになります。
しかし、仕事と遊びには相反する要素もあります。
仕事は不自由なのに対し、遊びは自由です。
仕事を途中で投げ出したり命令に背く行為を行えば、仕事として成立しません。
しかし遊びは好きな時にやめることができますし、途中で目標(ゴール)を見失ったとしてもそれが「遊び」でなくなるわけではありません。
仕事と遊びは相反する要素(自由か不自由か)を持ちつつも、遊びの方が上の序列に位置しています。
「遊びを仕事にする」というのは、「自由を犠牲にする代わりに、今まで遊びとして行っていた趣味などの活動を、仕事として成立させること」と言いかえることができそうです。
「趣味は仕事です」というのは、「仕事として真剣に取り組みつつ、制約がある中で遊びの要素を追求している」と言いかえられそうです。