社会人になると本が読めなくなる?
「社会人になると本が読めなくなる」というのは本当でしょうか?
確かに間違ってないような気がします。実際私も、働くようになって本を読む時間が大幅に減りました。
学生時代に毎日4~5冊読んでいたのに比べたら、今は休日に1日1冊読むので精一杯です。
しかし社会人になっても、どんなに忙しくても、本を読んでいる人はいます。
そして全ての社会人が、本を読む暇が少しも取れないほど忙しいわけではありません。
それでは「社会人になると本が読めなくなる」とは一体どういうことなんでしょうか?
「社会人になって本が読めなくなる」には2つの意味がある
「社会人になって本が読めなくなる」には2つの意味があります。
- 社会人になると「全く」本が読めなくなる
- 社会人になると「以前より」本が読めなくなる
①社会人になると「全く」本が読めなくなる
全く本が読めないという人は、本当に忙し過ぎて本を読めない人と、元から本なんか全然読んでない人に分かれます。
日本人の3~4割くらいは電子書籍も含めて1ヵ月に1冊も本を読まないそうです。
忙しすぎて本を読むのが不可能なんて人は実際にはそれほど多くないと思います。
本を読む人はどんなに忙しくても読むし、読まない人はどんなに時間があっても読みません。
本を読まない大半の人は「読もうと思えば読める」「その気になれば読む」と思っています。
しかし本を読まない人にとって読書は、忙しい時や疲れた時にわざわざ時間を割いてまでするほどの行為ではありません。
SNSやソシャゲのような暇つぶしの手段が減れば、人はもっと本を読むようになるのでしょうか?
労働時間が短縮されれば本を読む人は増えるでしょうか?
多分、あんまり増えないと思います。
本を「忙しい時にわざわざ時間を割いてまでする行為ではない」と思ってる人が、他にやることがないという理由でしぶしぶ本を手に取る可能性は低いと思います。
今まで本を読まなかった人はこれからも読まないでしょう。
②社会人になると「以前より」本が読めなくなる
「以前より」本が読めなくなったと感じる人は、社会人になる前は積極的に本を読んでいた人です。
本は好きでよく読んでいた。
仕事がものすごく忙しいわけではない。
疲れ切ってしまい本が読めないわけでもない。
でも何となく本を積読してしまう。
そういうタイプの人です。
社会人になったことで、なぜ本を読むのがしんどくなってしまったのでしょうか?
そういう人は多分、「読書は本来面倒くさいものである」というのを忘れているだけだと思います。
小学生の時、読書感想文を書くために指定の本を読むのは面倒だったと思います。
いつの間にか本の面白さに気づき、のめりこむように本を読むようになったけれど、そうなるまでの読書って面倒だったと思います。
本を好きな人は、読書は面倒な行為であるなんてこれっぽっちも思わないから、本を読むのはエネルギーを消費する行動だということを忘れているのです。
10代の頃は時間の許す限り本に没頭できました。しかし今は10代の頃のようなエネルギーはないから、昔のように本を読めなくなってきている。
だから社会人になって「以前より」本が読めなくなってくるのは当然のことなのです。
難しい本を読めば退屈に感じるのは仕方ないことです。
本屋さんや図書館で本を探す
本の探し方、本の読み方について、初心にかえってみる時なのではないでしょうか。
ネットで話題の本、高評価の本を効率よく入手するのではなく、何の情報もなしに本屋さんや図書館に行って本の背表紙を眺める。
いくつか手に取ってみてパラパラと眺めて、難しくなさそうな、エネルギーをあまり消費しなさそうな本を選ぶ。
それで意外と面白いなと思えたら儲けものですが、「微妙だな~」という本に当たる確率も決して低くないでしょう。
でもそうやって効率の悪い本探しをして、微妙な本を読んだりしながら面倒な思いをすることも、大切な読書の醍醐味の一つだったはずです。
社会人になって、以前より本が読めなくなったなと感じている人は、そんな効率の悪い本探しを再開してみてはいかがでしょうか。
面白いと思える本は十冊に一冊、人生を変えるほどの本に出会えるのは百冊に一冊くらいです。
そうやって多くのハズレ本の中から見つけた当たりの本は、一生忘れられない宝物のような本になることを、あなたは知っているはずです。