藤堂高虎
藤堂高虎は、主君を何度も変えた転職回数の多い人物です。
藤堂高虎から学ぶ転職の極意
主君を何度も変えた藤堂高虎は、当時から快く思われておらず「忠臣は二君に仕えず」と叩かれたそうです。
しかし藤堂高虎は非情で浅薄なコウモリ野郎だったわけではありません。
信頼できる主君に対しては粉骨砕身し忠義を捧げました。
また、主君が死んだりリストラされたりといった理由で仕方なく主君を変えることもありました。同僚をうっかり殺してトンズラしたこともありましたが
儒教的価値観から見れば評価は良くないかもしれませんが、時代を生き抜く適応力のある人物だったとも言えます。
また黒田孝高、加藤清正と並び、「築城三名人」の一人と称されます。
築城という秀でた才能があったことも、外様大名でありながら最終的には津城32万石余の大名になった理由の一つでしょう。