いじわる魔女の猫

ゲームのプレイ日記や攻略などを綴ります。

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失言を繰り返すおじさんの末路

失言を繰り返すおじさんに未来はないのか?

おじさんがヤバイ発言、痛い発言をしても誰も叱ってくれません。誰からも注意してもらえません。

周りは「それダメだよ」って言ってくれません。

100人中100人が、それは言っちゃだめだよって思うようなことでも、言った本人だけが何も気づかないんですよね。

そういうのって、一生直らないのでしょうか?

 

中には「それ言っちゃダメですよ」って指摘してくれる人もいると思います。

でも、言われたおじさんは素直に「ごめんなさい、これからは注意します」ってすぐに頭を下げられない。直せない。

何を直せばいいのか理解できない。

そうして何年経っても、言っちゃいけないことをずっと言い続けることになります。

そのうち周りも薄々「この人は言っても無駄なんだな」と察するようになり、何も言わなくなっていく。

だからますますおじさんは気づけなくなる。直すチャンスを失っていく。悪循環。

 

ここまで読んで

「おじさんかどうかは関係ないだろう、差別だ」

「だったらどうすればいい?セミナーでも行ってマナーを勉強してくればいいのか?」

と怒り出す人は非常に危ないです。

相手の指摘を受け止められず、怒ってしまう人は、軌道修正できません。

 

一方で自分自身がその「言っちゃダメなことを発言するおじさん」になってないか?って心配になった人もいると思います。

そうやって自分を心配した人は大丈夫です。

一番危ないのは「自分は大丈夫、問題ない」と自信を持っている人です。

詐欺と一緒で「自分は詐欺になんか引っかからない」と自信を持っている人が一番詐欺に引っかかります。

 

ただでさえ現代社会は叱ることが歓迎されない時代です。

叱ることがリスクになってしまい、上司や指導者などが叱ることができなくなってしまいました。

若者ですら叱ってもらえないんだから、おじさんが叱ってもらえるはずがない。

おじさんはもう、自分で気づくしかありません。

開き直るのも自由だが、それだと老害になる

もちろん、自分が痛い発言をしてるかどうかなんて気にせず「これが本当の俺だから」と開き直るのも一つの選択であり、自由です。

しかし、そうやって開き直って自由に発言することを選んだ人は老害になっていきます。

人間は社会的動物です。

人の目を気にしてビクビクしていたからこそ生き延びてきました。

他人の目を一切気にしなくなった人、完全な自由を手に入れた人が、少しずつ老害に近づいていくのは自然なことです。

自分の中に「他人の目」を持つことができるか

もちろんただ闇雲にビクビクするだけでは、何も発言できませんし、大きなストレスになります。

「沈黙は金」黙っていることも立派な戦略の一つですが、沈黙は選択肢の一つでしかなく、常に最善の選択であるとは限りません。

 

成功したいとか、他人より優れた何かを手に入れたいとかそういった野心を持つ。

あるいは組織やグループの中でより良く生きていきたいと考える。

そういった信念や目標があれば、自分の中で軸ができます。

それでいてかつ、自分の中に客観的な「他人の目」を持つことができれば、「ヤバイ発言をするおじさん」になることは防げるのではないかと思います。

 

他人の目を気にしつつ、かつ目標に進んでいくということを、若い頃は多くの人が自然とできていたはずです。

しかし年を重ねると、人の目が気にならなくなる。

「他人の目」を気にせず生きられるようになる。

それは悪いことばかりではなく、他人の目から自由になるということでもありますが、老害に近づくということでもあります。

どちらを選ぶかは自由です。

信念を持ちつつ他人の目を常に気にするという状態は、とても面倒臭いです。

しかし些細なことで炎上したりハラスメントと言われる時代を生きていくには必須のスキルです。