承認欲求から完全に自由になることはできない
太田 肇 著『「承認欲求」の呪縛』を読みました。
ブログは他のSNSに比べると、比較的一方通行的な情報発信ツールです。
しかしそれでいてもなお、読み手の存在を完全に無視することは不可能です。
アクセス数やよく読まれる記事など、読み手の「反応」が嫌でも気になってしまいます。
承認欲求は時に人を暴走させます。バカッターとかスシペロとかのような幼稚な事件にとどまらず、イジメや引きこもり、パワハラによる自殺など深刻な社会問題も「承認欲求」が全く無関係とは言い切れません。
承認欲求から完全に自由にはなれないにしても、他人からの評価や「いいね」を病的なまでに気にしないようにするためにはどうすればいいのでしょうか?
承認欲求は他人に依存する欲求である
評価や承認は他人の意思によるものなので、自分がいくら認められたいと思って努力しても、相手が認めてくれなければ承認欲求は満たされません。
逆にこちらが望む望まないに関わらず、相手から一方的に承認される場合もあります。
承認欲求は他人に依存する欲求です。
承認欲求から完全に自由になることは不可能です。かといって自分の努力で必ずしも欲求を満たすことができないまさに「呪縛」のようなものと言えます。
承認欲求なくして社会は成立しない
承認欲求は不要な欲求ではなく、むしろきわめて重要な欲求です。
人間のやる気の源泉となり、成長の原動力として大きな役割を果たします。
承認欲求が満たされると自己効力感が高まり、意欲的に活動できるようになります。
人はいかに多くの物を地上で所有しても、いかに健康や生活の安定をえても、他人から尊敬されないかぎり、満足しない
とパスカルは述べています。
幼児や犬猫でさえ、ほめてやると喜びをあらわすということが分かっています。
失う時の価値は、得る時の価値より大きい
例えば月給が1000円上がってもさほどうれしくないのに、1000円下げられると気分が悪いです。
同様のことが承認にも当てはまり、いったん承認されるとそれを手放すのは難しくなります。
SNSで一度承認されてしまうと、だんだんと「認められるような投稿をしなければいけない」というプレッシャーを感じるようになりがちです。
「もう一つの世界」をもつことが有効
仕事一本の人は職場への依存度が高く、職場のなかで認められることに縛られてしまう恐れがあります。
仕事だけでなく趣味やボランティアなど複数の居場所を持っている人は、一つの共同体からの評価に依存しなくて済みます。
SNS依存症の人は、リアルな世界を充実させることで解決につながる場合があります。
大切なのは二つの世界がかぶらないことです。クラスの友達とSNSでもつながっているとかだと二つの世界が独立しておらず、承認のしがらみから抜け出せません。