徳川吉宗
発動に関係なく、山&川を越えて移動し、移動速度が最大45%アップ。
発動すると、味方1軍の陣形力を最大6上昇させると同時に、敵の苛烈陣形、甲殻陣形等の陣形強化スキルを、4-6個ランダムで上昇値0にする。
このスキルは、敵の無効系スキルを回避できる。
このスキルは、全軍で1つのみ発動する。
S15曹操の「用兵の天才」のやや強化版+山川越え速増スキルといった感じの効果です。
陣形力を固定値で上げるスキルの中で最高の「上昇値6」です。
速度上昇があるので攻撃向きですが、攻防両用にしても良いと思います。
今期の6英雄はカリギュラがあまりにぶっ飛んでいるのでどうしても比較してしまいますが、徳川吉宗も十分第一線で活躍できる性能です。
徳川吉宗の人物について
徳川家の中でも特に有名で、歴史の授業でも必ず登場する人物です。
徳川八代目将軍として享保の改革を行いました。
吉宗が将軍になるまで
徳川吉宗の名前には「家」の文字が入っていません。これは吉宗が将軍になる予定がなかったことを意味しています。
七代将軍家継が8歳で死去し、将軍の血が途絶えたため、尾張、紀州、水戸の御三家から将軍を決めることになりました。
吉宗以外にも尾張家の吉道、江戸の綱条など将軍候補はいましたが、最終的に吉宗に決定されました。
六代将軍家宣(50歳)、七代将軍家継(8歳)、尾張家の吉道(25歳)など、吉宗にとって都合の良い死があまりにも続いたことから、吉宗の陰謀だったのではないか?という説もあります。
享保の改革
吉宗は高負担・高福祉の「大きな政府」を目指し、増税と規制強化により赤字財政を立て直しました。
緊縮政策として吉宗自身が倹約につとめ、さらに家臣や領民にも倹約を強制しました。
服装も質素であった。綸子は女のようにみえるといってきらい、ふだんは太い糸で織った縮帷子を用い、冬は厳寒のときでも襦袢を着ず、下襲も二枚までであった。年を取ってからも、衣を火であたためることは一度もなく、鷹狩の際の羽織は木綿であり、乗馬のときの袴も小倉木綿であった。長男家重にも肌着は木綿しか着させなかった。印籠は黒塗りで、付属品もすべて鉄・銅などで、金銀の飾りはつけなかった。こうした吉宗の倹約・緊縮ぶりに対して、江戸城の大奥では、彼を「野暮将軍」と呼んだといわれる。
大石学 著「徳川吉宗 日本社会の文明化を進めた将軍」より
一度は財政を黒字に建て直したものの、1732年に享保の大飢饉が発生し、餓死者は1万人以上にのぼりました。
米価は高騰し、改革政治への不満や批判は増大。
全国的に一揆が発生しました。
有力な政策を多数行ったものの、不満の声も多かった
目安箱を設けたり、飢餓・災害対策、無料の医療施設「小石川養成所」の設立など、名称軍と呼ばれるような政策も多数行った一方、重税と倹約を強制したことから町民から必ずしも歓迎されませんでした。