今に始まったことではありませんが、今回も時空覇王伝に関係ない話です。
政治の話は避けたいという気持ちがずっとありました。
政治の話になると、ネットを見れば罵詈雑言のオンパレード。
本屋さんを見ても、特定の政治家を批判する過激なタイトルの本や、不安を煽るようなタイトルの本が目につきます。
たとえ家族であっても、政治に関する意見の食い違いは不和を引き起こす恐れがあります。
日本は政治の話がタブーという空気がずっとあります。
しかし、何となく政治の話は避けようとか、どうせ選挙なんて行っても何も変わらないとか、もうそんな悠長なことを言ってられない状況に今の日本はなってしまいました。
ここ数年だけ見ても、森友・加計学園問題、桜を見る会をめぐる問題。
コロナ対策ではまったくといってよいほど政府は無策でした。
緊急事態宣言中に強行されたオリンピックでは、汚職や違法行為、国会での虚偽答弁など、あらゆる不当な行いが続けられました。
この緩み切った政府のあり方は、実のところこの日本で生きる私たちが、それを許してきてしまったということでもあるのです。山積する社会問題に対して、権力と国家予算を手にしている政府が、それらを人々の生命と生活を守るために正しく行使するよう、監視・批判・要請をしっかり行わなければならなかったのに、それを十分にやれてこなかったということが、日本の政治の惨状をもたらしました。
本田 由紀 著『「日本」ってどんな国? 国際比較データで社会が見えてくる』より
1980年代の中曽根、2000年代の小泉など長期政権が終わった後は、自民党は混乱に陥り、短命政権が続いた。これは偶然ではない。長期政権の陰で次の政権を担う指導者の育成は遅れ、政策の停滞、腐敗の蔓延など弊害がたまっていたことの結果である。このパターンは、ポスト安倍にも繰り返されるに違いない。
山口 二郎 著『民主主義は終わるのか 瀬戸際に立つ日本』 より
日本はもう、政治に無関心でいても平和に安心して暮らせる「普通の国」ではありません。
汚職などが頻繁に報道される政治には嫌気が差しますが、ここまで政治が腐敗するまで政治意識が希薄だったことは反省しなければいけないと思いました。