いじわる魔女の猫

ゲームのプレイ日記や攻略などを綴ります。

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1位は孤独なのだろうか?

1位になった時の孤独

私は総合ランキングで1位になったことはほとんどありませんが、時空戦ランキングや時空内ランキングなど、限定的な枠の中で1位になったことはあります。

私がゲームをしていて孤独だなと感じる瞬間は「1位になった時」です。

1位って孤独じゃないですか?

これは時空覇王伝に限らず、私が今までプレイしてきた様々なゲーム、さらにはリアルでも感じてきました。

1位になった喜びはあまりなく、むしろ目指すべきものを失った喪失感の方が強く残ります。

自分よりランキング上位のプレイヤーがいなくなってしまった。それが寂しい。

勝ちが嫌いなわけでもないし、勝ちを目指さないわけでもない。勝てば嬉しいんですが、それでも1位になった時の独特の寂しさがなくなるわけではありません。

おそらく性格的にスポーツが全く向いていないのだと思います。実際スポーツをプレイするのは苦手で、観戦するのもあまり好きではありません。

勝った時にガッツポーズをする人と、喜びを全く表現しない人がいます。

私は後者です。

別に「ガッツポーズしない俺クールでカッコイイ」などと思ってるわけではなくて、金縛りのような状態になって動けないのです。

もしかしたら、1位になったことで自分が一番愚かであることを証明してしまったのでは?というよく分からない恐怖を感じます。

他の人が1位になってもその人を愚かなどと思ったはありません。

それなのに自分が1位になると「もし自分の目指していた道が間違っていたらどうしよう」「取り返しのつかないことをしてしまったのかもしれない」などという謎の罪悪感が不意に湧き出てきます。

1位より合格の方が嬉しい

学校のテストで学年1位を取ったりしても、嬉しいとか優越感を感じたことはありませんが、入試試験や就職、資格などに合格した時は嬉しいと感じました。

当たり前ですが、1位になることと合格することは大きく異なります。

  • 合格はゴールだが、1位は通過点であることが多い
  • 合格は絶対評価、1位は相対評価であることが多い
  • 努力が結果に反映されたという点では、1位も合格も共通している

1位と合格が同義であるケースも稀にあります(オーディションで1位になった者だけが合格の場合など)。

ゲームに合格という概念はあるのでしょうか?例えば「ラスボスを倒す」というのは合格に似ているかもしれません。

ラスボスが居ないゲームも多く存在します。時空覇王伝のようなオンラインゲームは、ラスボスを倒してしまうとゲームが終了してしまうので倒せないようになっています。

パズルゲーム、音ゲーシューティングゲームなどは、ラスボスが存在するものもありますが別にいなくてもゲームは成立します。

ラスボスが居ない、または重視されていないゲームではスコアとかランキングが重視される傾向が強いです。

1位を走り続けることができない

勝ち続けるということが苦手で、トップになるとメンタルがガタ落ちします。

トップは誰かに走ってもらいたい。誰かの背中を見ながら走り続けたい。

私なんかが1位になって申し訳ない、そう思ってしまいます。

なぜこのような考えに至るのか?他の人も同じように感じているのか?それとも自分だけがそう思っているのか。その辺のことはよく分かりません。

しかしトップになるというのは、自由と構造が似てるのかもしれません。

エーリッヒ・フロムは著書「自由からの逃走」で、人間は自由になることで孤独感や無力感を抱えるようになり、その重圧に耐えきれず自由から逃走してしまう、と述べています。

しかし他方、この個性化が進展することによって、孤独や不安がまし、ひいては世界における自分の役割や人生の意味にたいする疑惑が高まり、それとともに、個人としての無力さと無意味さの感情がつのっていく。

エーリッヒ・フロム「自由からの逃走」