千利休
一軍の破壊力を、芸術性×5だけ増加する。
千利休に破壊のイメージはありませんが、破壊系スキルです。
ただでさえ使いにくい破壊系スキルなのに、芸術性によって性能が伸びるというものすごく尖ったスキルです。
「茶の心」はブラック合成スキルのハズレ枠でもあります。
千利休の人物について
戦国時代から安土桃山時代にかけて活躍した茶人です。
室町時代に、村田珠光という人が亭主と客との精神交流を重視する茶会の在り方である「侘茶」を創始しました。
侘茶は武野紹鷗に受け継がれ、千利休によって茶道として大成されました。
千利休が好んだ茶器は、黒色で左右非対称の茶器でした。
千利休の侘茶へのこだわりは茶器だけにとどまらず、懐石料理や茶室など様々な分野に及び、新しい試みが行われました。
それまでの茶室は三畳敷やそれ以上の広さが多かったのですが、利休はたった二畳の茶室を作り、室内はほの暗く、躙口(にじりぐち)という屈まなければ入れない狭い入口を作りました。
なぜこんなに入口が狭いのかというと、「茶室の中では誰もが平等」という千利休の価値観あったためです。
茶室に入るには誰てあろうとも、頭を低くして入らなければいけないのです。
また、武士の刀を外させる目的もありました。茶室内は刀の所持が禁止されています。
扉がこれだけ狭いと、刀を持ったまま茶室に入れないのです。
---
千利休は堺の出身です。
堺は勘合貿易をきっかけに貿易港として発展した町です。
意外かもしれませんが千利休は商人としてもバリバリ活躍した人物です。
利休は商人として活躍する傍ら、茶人として屹立しようとの志もありました。
織田信長に茶の湯で仕えるようになったことが、千利休にとっての大きな転機となりました。
当時の織田信長は、名物の茶器を買い占める「名物狩り」を行っていたことから、茶器に精通した千利休を重宝するようになりました。
織田信長が本能寺で自刃すると、千利休はそのまま豊臣秀吉に仕えることに。しかし二人の関係は次第に悪化していきました。
「侘び寂び」を好む利休に対し、秀吉は見せびらかしたがりな性格でした。
一般市民を巻き込んだ大規模な茶会を開催したり、内装や茶器全て金ピカの茶室を作らせたりと、秀吉の好みはおおよそ利休の価値観とは相知れないものでした。
そして大徳寺の山門に、利休の木像を配したことに対して秀吉が激怒。
その木造は利休が設置を命じものではなかったのですが、秀吉から自害を強いられてしまいました。